登山日 | 10.9.19(10.9.18〜20) |
9月1日にあった例会にて、私が北アに行くことを話したところ、会長が「どうせなら北鎌をやって欲しい。そうだ、3連休に行くぞ!」 という訳で、これまでほとんど考えていなかった北アに2週連続で行くことになった。 メンバーは4名。 バリエーションルートのカンニングをするようで気が進まなかったが、遭難者も出ることは知っていたので、事前に2つほどルートを紹介しているサイトをなんとなく見てみた。 共通していたのは、時間がかかること(私が見たサイトは10時間ほどかかっていた)、実際に歩くと難しい箇所はほとんどないことの2点であった。 なんとなく見ただけだし、岩尾根など登ったことがないので、さっぱりイメージが湧かなかった。 複数ある北鎌へのルートのうち、我々が選んだのは「上高地〜水俣乗越〜北鎌沢出会い(テン泊)〜北鎌沢〜北鎌のコル〜槍ヶ岳〜下山途中でのテン泊〜上高地」というものだった。 上高地から横尾を過ぎ、水俣乗越へ向かう途中、いかにも「これから北鎌へ行きます」という装備の登山者が大勢いた。テン場へ着いたら、かなりの数のテント・ツェルトがあり、いかに3連休といえども、これほどまでに北鎌をやる登山者が多いものかと驚きを禁じえなかった(そういう我々もその一つであるが)。 会長は、自身で見た北鎌のルートを紹介したサイト(日帰りをした方のもの)を参考のために印刷して持参していた。これによると、日帰りといえども、ルートミスをした場合は時間を食うだろうとのことで、かなり早出することにした。 登頂日当日、まだ周囲も暗い4時前に出発。ほぼ時間を同じくして、単独の登山者と、ガイド登山と思われる10名近い団体が出発。 単独の登山者は、我々を追い抜き、どんどん先へ登っていった。反面、ガイド登山と思われる団体は、あまり速く進んでいないようであった。 さて、これだけ早く北鎌沢を登り始めた我々であったが、いきなりとんでもないミスをしてしまった。 |
登頂前日、テン場より北鎌沢 コルへ真っ直ぐ突き上げている |
北鎌沢は途中で二俣に分かれている。地形図を見ると、北鎌のコルへは右俣を遡行することは明らかである。ちなみに、左俣は独標付近へ突き上げる。 地形図でも明らかだし、上の写真のように真っ直ぐなので、何の疑いもなくテン場を出発。先行する単独の登山者はどんどん進み、彼のヘッデンはやがて見えなくなった。 漸く周囲がぼんやりと明るくなった頃、後ろを見るとヘッデンの灯かりが見えない。そんなに速く登ってきた訳でもないが…と思っていたら、くりやさんから衝撃の一言が。 これまで間違いなく1本の流れを遡行してきたと思っていた。むしろ、左俣などどこにあったのだろうと思っていたので信じがたい気持ちでいっぱいだった。上部には、先行した単独の登山者のヘッデンがウロウロしているのが見えた。 周囲が明るくなると、目の前に雪渓が出てきた。しかも崩壊が進んでおり、およそ遡行を続ける気にはなれない。おかしい。 ここで右に支流があったのでそちらへ進んでみた。すぐに岩場に出た。かなり難しそうであった。やはりおかしい。 そう思っていたら、男女2人のパーティが登ってきた。彼らによれば、 ・ 雪渓のある方が正解のルート ・ 通常雪渓は8月に消えるのでまだ残っていて驚いている ・ 今いる箇所は「北鎌の罠」と呼ばれ、何人も人が死んでいる ・ 雪渓を見て無理だと思い、こちらに来てみた とのことだった。 しばらく岩場の様子を見てみると、なるほどハーケンやらハーケンから下がったシュリンゲやらがチラホラ見えた。 我々は、これらの様子を見て下りることにした。 2人のパーティは、アンザイレンで岩場をクリアすべく試行錯誤していた。単独の登山者は最早見当たらなかった。 右俣を見つけるべくしばらく下降すると涸沢があった。上部を見ると、遡行しているパーティがいた。 右俣との出会い通過時点ではまだ暗く、しかも出会い部分は涸沢であったため、完全に見落としてしまっていた。 また、「真っ直ぐに登ればいい」と慢心があったことも否定できない。 さて、この時点で既に出発から5時間近く経過していた。 登頂までに時間がかかることを前提にすれば、登り返しを厳しく思うメンバーもいるだろうし、中途半端な時間であるので、私の頭の中は撤退であった。下降途中、メンバーの一人が負傷、手指の骨折の疑いがあったこともその判断に傾く要因であった。 しかし、会長が「2人(会長と私)で行く」と気迫を込めて主張、パーティを分けたくなかったが従うことにした。 驚嘆すべきは会長の体力であった。 年齢を強調するのもどうかと思うが、敢えて書かせて頂けば、会長は数えで古希である。右俣の急な登りこそ10歩あるいて一呼吸置くという状況で、稜線ビバークも覚悟した。 しかし、尾根に出てしばらく歩き、岩場に入った後はまるで別人であった。北鎌平から先は混んでいたがそこに至るまで、次々とパーティを追い越していった。 |
3:55 |
テン場 発 | |
8:40 |
ルートミスを経て北鎌沢右俣 | |
10:15 |
北鎌のコル | |
15:20 |
槍ヶ岳山頂 |
独標 トラバースせずに直登しているパーティがいた |
独標、奥に穂高 |
しばらく進むと槍が見えた |
笠 |
独標トラバースの始まりはロープがある。足元は切れていた。 |
独標のトラバースでは、この他に1箇所、ハングしている岩をへつる箇所があった。三点確保ができれば難なく通過できるが、ハングしている分、ザックは小さいほうがいいと思った。 |
常念だったか? |
槍をバックに手を振る会長 |
先へ進む |
槍、奥に穂高 |
穴あき岩 |
前方に団体が見え始め、こちらも小休止 |
近づく槍 |
前が詰まり、時間待ちのためカメラを出す |
更に近づく槍 |
岩石帯 踏み跡は岩石帯の下部を通りチムニーへ続いていた。我々は岩石帯をそのまま登った |
山頂直下でまた渋滞 |
時間待ちの間に撮った槍の影 |
確かこの後に山頂直下のチムニーが出てきたと思った。三点確保が出来ればフリーで通過可能である。 |
登頂 この対面はかなり混雑 |
槍の肩にて、渋滞する登山道 |
登る前はまるでイメージの湧かなかった北鎌であったが、実際に歩いてみると、踏み跡が明瞭でほとんど迷うことなく素直に登れたという感じであった。 もちろん、この日既に数多くの登山者が入り踏み跡が明瞭になっていたというのもあるだろうが、長年多くの登山者に歩かれて出来たと思われる踏み跡も少なくなかった。 北鎌を歩いているときは、「空いているときに一人で来て、どれだけ速く歩けるか」を試してみたいと思っていたが、下山中に考えが変わった。これだけ多くの人が入っている北鎌はバリエーションとはいえども、かなりルートが確立されているのではないか。だとしたら、「いかに登るか」が重要なのだと思う。 例えば、巻かずに全て稜線を歩く、厳冬期に挑戦する等々。 以上が感想であるが、今回の山行でより重要であったのが既に述べたルートミスに関することである。 パーティを分けて一部が登頂できたが、上記の痛恨のミスで全員登頂できなかったのはパーティ登山としては失敗である。ルートミスの原因も、既述のように様々なものが考えられる。その意味で多くの課題を残してきた山行であった。 |
・ | 我々が左俣上部で出会った2人組パーティが言っていた「北鎌の罠」が気になり、下山後検索してみたら、左俣ではなく右俣上部の更に右俣であるようだった。ちなみに、「北鎌の罠」と思われる箇所にはペンキで「×」が記されていた。 |
・ | 水は余裕を持って3L持ったが、この時期の稜線は涼しく、500mlも飲まなかった。 |
・ | 既述のように踏み跡は明瞭であったが、場所によっては複数の踏み跡があった。我々は、1箇所、困難な(誤った?)踏み跡を辿り、ザイルを使って下降した。但し、肩がらみだった。 |