鳥海山  百宅口


登山日 10.5.30


 12名で百宅口から。
 前日の夜、全県体育指導員研修会の講演会のために来県されていた小松由佳さんの「K2その後」と題する講演会があり、拝聴した。小松さんと会・会長との交流が以前からあり、開催の運びとなったそうです。
 その流れで、翌日に小松さんと鳥海山に登ることとなり、12名の大所帯(スキー5名・ツボ足7名)となった。

 大清水で水を汲み、スキーをザックに着けて出発。新緑が目にやさしい。
 取っ付き付近はまだ雪があり、スキーを履けるかとも思ったが、「どうせすぐに脱ぐだろう」との予測からしばらくそのままで歩いた。しかし、思ったより雪があり、早めにスキーを履くこととなった。
 雪が切れてスキーを脱いだのは、6合目をしばらく行った辺りの、夏道の一部と屏風岩付近の2箇所であった。

 とはいえ、やはりこの時期は藪が目立つ。タッチラ坂の標柱を過ぎてからは、ルート確認をしようと思い先行した。唐獅子平避難小屋の手前に目立った藪があった。大きく左に回ったが雪が繋がっておらず、仕方なしに戻ると、小屋直下のすぐ右から雪が繋がっていることがわかった。
 状況を知らせようと、こんのさんと無線連絡を試みたがうまくいかない(下山後、マイクの調子が悪いことに気付いた)
 交信できないので、この時点で外輪まで先行し、1本滑って後続と合流することに決め、先へ進んだ。

 この日は、前日まで続いていたすっきりしない天候が漸く回復し、澄んだ青空に覆われていた。その空の向こうから、猛禽が悠々と現れる。空気が澄んでいるだけに姿を捉えやすい。しばし足を止めて眺める。猛禽の種類にはあまり詳しい知識がないが、イヌワシではなく鳶だったようだ。

 外輪から唐獅子平まで1本滑り、また登り返す。
 登り返すと、外輪では祓川から登って来られたまきのうちさんが待っていた。後に好評のラーメンを頂く。

 なお、外輪では、鷹巣山岳会の方にお会いした。
 その後、七高山へ移動すると、「東北の山〜鳥海山」の管理人さんが登って来られた。テレマークの道具について、貴重な助言を頂いた。感謝です。

 さて、滑りは、上部は快適であったが、大分縦縞がきつい箇所や、凸凹が多くなってきた。しかし、まだまだ滑れそうであった。
 下山時は、なるべくスキーを脱ぎたくなかったところ、会長の絶妙なリードで一度もスキーを脱がずに大清水の小屋脇まで下りることができた。




澄んだ空、それと対峙する新緑




出発前




新緑が、




清々しい




眼下の景色も開放感があり、気持ちいい




屏風岩
まだこれだけ雪がある




外輪より、七高山




こんな一幕も!




更に、ミニスキーまで登場!(残念ながら出番はありませんでした)




おまけ その1
ユキノシタというそうです

味噌汁にしたところ、美味でした




おまけ その2

登山口へ向かう林道にある、「人切場」の石碑と「幾万と盗みし金は身につかぬ 身につく金は今日の一太刀」の標柱

こんのさんによれば、戊辰戦争で矢島藩と庄内藩が戦う前、罪人をここで切ることにより士気を高めたのだそうです。




こんのさんから3年前に撮った「人切場」の写真を頂きました。
当時は、標柱がなく石碑だけでした。
inserted by FC2 system